第二章


 クレジットを取得した私は、水を得た魚の様でした!

 サザビーズ、クリスティーズのオークションでは、基本的に落札代金を精算しなければ商品を受け取れないルールですがクレジットを取得すると落札した商品はそのまま持ち帰れてしかも、精算は一ヶ月以内で良かったのです。

 クレジットの限度額は一千万円でしたが、一度の渡英で一千万を超える落札をしてしまった場合などにあと二千万買いたいと言っても断られたことは無いので事実上無制限のようなものでした。

 それからの私はお金のことを気にせずに日本で売れそうな楽器を全て落札しました。

 当時海外で楽器のオークションに参加していた日本人は私を除くと二人居ましたがその方々は自分の店で販売する分のみを落札しており日本国内で外国製の弦楽器を扱う店も少なく卸売りをする店は皆無でした。

 自ずと目指すべき道が見えてきました。

 日本初の弦楽器専門の卸売り店を目指そう!

 卸売りを始めると日本中の楽器店から引き合いの電話が鳴り響きました。
 そのうちに、オークションに出発する寸前にフレンチの弓を3本落札してきて欲しい等の注文を受けるようになりました。
 帰国すると又すぐに次の注文が入る為に年に10回は渡英するようになりました。

 当時日本人とその他の国の方々とは金銭感覚において大きな開きがありました。
 私が当然だと思ってつけた値段を外国人はクレイジーだと言います。

 ゴッホのひまわりを日本人が125億円で落札!と言う時代背景が私に味方したこともあり、それからの私は海外の競売で負けることは有りませんでした!

 時には赤字になりそうな高値になることもありましたが私が楽器を落札して持ち帰るのを日本で待っている顧客が居るためと、外国人バイヤー達にあの日本人は絶対に引かないから争っても無駄だという意識を持たせたかった為に一切引き下がるということをしませんでした。

 私はいつのまにか有名人になっていました。

 オークション会場で最後まで引かずにビッドする私に付けられたあだ名はハイルヒットラーでした。

----つづく